資格取得支援制度の作り方と退職時の費用返還
人事ノート資格取得支援は、建設業の定着施策のなかでも導入しやすい制度です。一方で、退職時の費用返還をめぐって紛争になりやすい制度でもあります。もめる原因の多くは、返還条項の文言そのものより、その手前にある「どの資格を、誰の必要で、いくら負担するのか」の整理不足にあります。
この記事では、制度を作る順序と、労働基準法で確認しておくべき点を実務の手順に落とします。個別の事案の適法性は事情によって変わります。判断に迷う場面は、社会保険労務士や弁護士に相談してください。
設計の出発点は「誰のための資格か」
資格取得支援を一本の制度として作ると、必ず無理が出ます。建設業で扱う資格は、性格がまったく違うものが混ざっているからです。
- 法令で事業者に受けさせる義務があるもの(労働安全衛生法にもとづく特別教育や技能講習など)
- 会社が事業運営上どうしても必要とするもの(施工管理技士、建築士、電気工事士など、配置や許可要件、受注要件に関わるもの)
- 本人の成長のために会社が推奨するもの
- 業務との関連が薄い、本人の自己啓発
最初にすべきことは、自社で対象にする資格を一覧にし、この4区分のどこに入るかを決めることです。区分が決まれば、費用負担も労働時間の扱いも、返還条項を置けるかどうかも、ほぼ自動的に決まります。逆に区分をあいまいにしたまま「上限10万円まで補助」とだけ決めると、後から必ず例外処理が発生します。
区分ごとの基本の扱い
| 区分 | 具体例(自社で確定させる) | 費用負担 | 受講・受験の時間 | 退職時の返還条項 |
|---|---|---|---|---|
| 法令で受けさせる義務があるもの | 特別教育、技能講習、職長教育など | 会社が全額 | 業務として扱うのが原則 | 置かない |
| 会社が業務上必要とするもの | 施工管理技士、建築士、電気工事士 ほか | 会社が全額または大部分 | 業務命令なら労働時間 | 置くなら慎重な設計が必要 |
| 会社が推奨するもの | 関連する民間資格、上位級の受験 | 一部補助(合格時のみ等) | 原則として本人の時間 | 原則として置かない |
| 本人の自己啓発 | 業務との関連が薄いもの | 補助しない、または少額定額 | 本人の時間 | 置かない |
表の「具体例」は自社で確定させてください。同じ資格でも、担う業務によって位置づけが変わります。たとえば1級施工管理技士は、技術者配置の要件に直結する会社では業務上必要なものになりますが、担当職種によっては推奨にとどまることもあります。
法令で事業者に義務づけられている教育の範囲は、業種や作業内容で変わります。自社の作業に何が必要かは、所管官庁の公表資料で確認してください。
費目ごとに負担と時間の扱いを決める
「受験料を出す」だけを決めて運用を始めると、周辺の費目で判断がぶれます。申請書を作る前に、次の費目を表で埋めてください。
| 費目 | よくある扱い | 決めておくこと |
|---|---|---|
| 受験手数料 | 会社負担 | 不合格時の再受験を何回まで負担するか |
| 講習・講座の受講料 | 会社負担または一部補助 | 外部講座の上限額、社内推奨講座の指定 |
| テキスト・問題集代 | 一部補助が多い | 上限額、購入物の帰属(会社備品か本人か) |
| 会場までの交通費・宿泊費 | 会社負担または実費上限 | 出張扱いにするか、旅費規程を準用するか |
| 登録手数料・免状交付料 | 会社負担が多い | 登録先が本人名義である点をどう説明するか |
| 更新講習・再交付の費用 | 保有者の維持費として会社負担が多い | 退職後に効果が残る点をどう整理するか |
| 受講・受験に要した時間 | 区分により異なる | 労働時間として扱うか、特別休暇を出すか |
| 合格報奨金 | 一時金として支給 | 支給時期、税や社会保険の取り扱い |
| 資格手当 | 毎月の賃金 | 保有で払うのか、その業務に就いたときに払うのか |
時間の扱いは軽く見られがちですが、実務では金額より影響が大きい論点です。会社が受講を命じ、参加しないと不利益がある形になっていれば、その時間は労働時間として扱う必要が生じます。休日に丸一日の講習を入れると、休日労働や割増賃金の問題につながります。所定労働時間内に組み込むのか、振替休日を出すのか、特別休暇を新設するのかを、制度と同時に決めてください。
資格手当は、賃金の一部です。金額や支給条件を変える場合は、労働条件の明示や就業規則の変更手続きが関係します。「保有していれば払う手当」と「その資格が必要な業務に就いている間だけ払う手当」を分けておくと、配置転換のたびに紛糾する事態を避けられます。
退職時の返還で確認する労働基準法の条文
返還条項を検討するときは、次の条文を先に押さえます。条文の趣旨を外した設計は、文言をどれだけ工夫しても効きません。
| 条文 | 内容 | 制度設計への影響 |
|---|---|---|
| 第16条 | 賠償予定の禁止。労働契約の不履行について違約金を定め、または損害賠償額を予定する契約をしてはならない | 「3年以内に退職したら支援費用を全額支払う」という定めが、実質的に違約金にあたると評価されれば無効となる余地がある |
| 第17条 | 前借金その他労働することを条件とする前貸の債権と、賃金を相殺してはならない | 会社が立て替えた費用を、賃金との相殺で回収することはできない |
| 第24条 | 賃金は通貨で、直接、全額を支払う | 毎月の給与や退職金から一方的に控除して回収することはできない。控除には法令の定めか労使協定が必要 |
| 第89条 | 就業規則の記載事項。労働者に食費、作業用品その他の負担をさせる定めをするときは、その事項を記載する | 費用の一部を本人負担にするなら、就業規則(または賃金規程・別規程)への記載が必要 |
| 第91条 | 制裁として減給する場合の限度 | 返還を「制裁」として設計すると、この制限に抵触するおそれがある。制裁ではなく貸付の精算として整理する |
返還を求める仕組みが第16条に触れるかどうかは、形式ではなく実質で判断されます。実務では、次の点が整理されているかどうかが分かれ目になります。
- その受講・受験は、本人の自由な意思にもとづくものだったか。会社が命じたものではないか
- 費用の負担が、貸付として明確に約束されていたか。返還時期と免除条件が具体的か
- 免除までの在籍期間が、費用の額に見合った長さか。無用に長くないか
- 在籍期間に応じて返還額が減っていく仕組みになっているか
- 退職の自由を事実上ふさぐ金額になっていないか
- 会社都合の退職や、やむを得ない事情による退職で免除されるか
会社が業務命令で受けさせた講習の費用を、退職時に返還させる設計は、成り立ちにくいと考えてください。法令で事業者に義務づけられている教育であれば、なおさらです。返還条項を置くのは、本人の希望で受講し、会社が費用を立て替えたと言える資格に限るのが安全です。
なお、返還請求が認められるかどうかは、契約の内容と実際の運用の両方を見て判断されます。規程に書いてあるという理由だけで有効になるわけではありません。金額が大きい制度を作る場合は、導入前に専門家の確認を受けてください。
賃金からの回収はできないと考える
現場でもっとも起きやすい誤りが、最終給与や退職金からの天引きです。第17条と第24条があるため、会社の債権と賃金を一方的に相殺することはできません。労使協定にもとづく控除の枠組みがある場合でも、その協定の対象や本人の同意の取り方について、慎重な検討が必要です。
実務上は、次の順序で考えます。
- まず、返還条項そのものを置くべき資格かを見直す
- 置く場合は、賃金とは別に、本人からの弁済(振込など)で回収する建て付けにする
- 退職手続きの案内に、返還対象の有無と金額、支払期限を書面で示す
- 支払われない場合の対応は、督促の記録を残したうえで法務・専門家に引き継ぐ
「同意書があるから天引きしてよい」と即断しないでください。同意の有効性は、その取り方や状況によって評価が分かれます。
規程と同意書に書く項目
制度は、就業規則本体か別規程、そして個別の同意書の二段構えで作ります。規程だけで個別合意がないと、金額や期間の合意が争われます。
規程に書く項目
- 目的と適用範囲(正社員、契約社員、試用期間中の扱い)
- 対象資格の一覧と区分(前掲の4区分)
- 費目ごとの負担範囲と上限額
- 申請から承認までの手続きと決裁者
- 受講・受験時間の取り扱い(労働時間か、特別休暇か)
- 不合格時の再受験の扱いと回数
- 合格報奨金と資格手当の関係
- 費用の一部を本人に負担させる場合の内容
- 返還の対象、免除期間、按分の方法、免除される退職事由
個別同意書に書く項目
- 対象資格名、受講機関、受講期間
- 会社が負担する費目と金額(実費確定後に確定額を追記する欄)
- 返還の要否と、免除までの期間
- 在籍期間に応じた按分の計算式
- 免除される退職事由(会社都合、傷病、家族の介護など)
- 支払方法と期限(賃金からの控除によらないこと)
- 署名日、本人の署名
按分は、月割りで残存期間に応じて減らす形が理解されやすい方法です。たとえば免除期間を24か月とし、在籍1か月ごとに24分の1ずつ返還義務が消えていく、という書き方にします。「1年未満は全額、1年以上2年未満は半額」という段階式は、境目の1日で金額が大きく変わるため、不満が出やすい設計です。
導入の手順
- 対象資格の候補を洗い出す。技術者配置、許可の要件、CCUSの能力評価に関わるものを優先して並べる
- 4区分に割り当てる。判断に迷うものは、いったん「推奨」に置く
- 費目ごとの負担表を作る。1件あたりの想定額を出す
- 年間の受講見込み人数を掛けて、予算の総額を試算する
- 受講・受験時間の扱いを決める。休日にかかる講習の処理を先に決める
- 資格手当と合格報奨金の関係を整理する。両方出すのか、どちらかにするのかを決める
- 返還条項を置く資格を絞り込む。業務命令で受けさせるものからは外す
- 規程案と同意書のひな形を作る。専門家のレビューを受ける
- 就業規則の変更手続きを行う。意見聴取と届出、周知まで済ませる
- 申請フローを現場の職長・所長にも説明する。申請の受付窓口と締切を明示する
- 運用開始後、申請件数・合格率・費用実績を四半期ごとに集計する
最初から対象資格を広げすぎないことをすすめます。5つから10程度に絞って始め、実績を見て毎年見直す方が、予算も運用も安定します。
よくあるつまずき
- 区分せずに一律の返還条項を入れる。法令上必要な技能講習まで返還対象に入れてしまい、退職時に説明できなくなる例があります。対象資格を明記した別表方式にしてください。
- 最終給与から差し引く。もっとも紛争になりやすい処理です。労働基準法の全額払いの原則があるため、別途弁済の形にします。
- 同意書がなく、規程だけで運用している。金額が確定していない、免除期間の説明を受けていない、と主張される余地が残ります。受講決定のたびに同意書を交わしてください。
- 不合格時の扱いを決めていない。再受験の費用を何回まで出すかを決めていないと、担当者ごとに判断が割れます。回数と期限を規程に書きます。
- 合格報奨金と資格手当を二重に払っている。意図的な設計ならよいのですが、慣行で続いていると人件費の見通しが立ちません。どちらの趣旨かを整理します。
- 休日の講習を無給で受けさせている。会社が命じているのであれば、労働時間の問題が生じます。振替や特別休暇の運用を先に決めてください。
- 資格手当を後から減らす。賃金の引き下げにあたるため、手続きが必要です。手当の性格(保有か、業務従事か)を最初に定義しておくと、配置転換時の説明がしやすくなります。
- 更新講習の費用を制度に入れ忘れる。取得だけを支援対象にして、更新は自己負担のままにしていると、保有者から不満が出ます。維持費の扱いも決めます。
- 申請の締切がなく、期末に集中する。予算管理ができません。受講開始の何日前までに申請、という運用を決めます。
運用後に見る数字
制度は作って終わりではありません。次の数字を毎年見て、対象資格と金額を見直します。
| 指標 | 見方 |
|---|---|
| 申請件数と承認件数 | 承認率が低いなら、対象や上限の設定が実態に合っていない |
| 資格別の合格率 | 低い資格は、講座選定や学習時間の確保に課題がある可能性 |
| 1件あたりの実費 | 予算の見直しに使う。交通費と宿泊費の比重も確認する |
| 取得者のその後の在籍期間 | 返還条項の有無にかかわらず、定着に効いているかを見る |
| 有資格者数の推移 | 技術者配置や受注の見通しと突き合わせる |
返還条項は、あくまで費用の精算の仕組みです。人を引き止める手段として設計すると、労働基準法の趣旨から外れやすく、社内の信頼も損ないます。定着につなげたいのであれば、取得後にその資格を使う仕事を割り当てられるか、手当や等級に反映できるか、という出口の設計に力を入れる方が実効性があります。
条文の詳細や最新の改正内容は、労働基準法の条文と、所管官庁が公表している資料で確認してください。
出典
- 労働基準法
本記事は建設タレントサーチ 人事ノートが作成しています。法令・制度は改定されることがあるため、 実務にあたっては官公庁の最新の公表資料をご確認ください。 個別の判断が必要な事案は、社会保険労務士等の専門家にご相談ください。
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