ベテランの技能を若手へ引き継ぐ社内の段取り
人事ノートなぜ「段取り」から考えるのか
技能継承がうまくいかない会社は、やる気や人柄の問題ではなく、段取りが決まっていないことがほとんどです。誰が、誰に、何を、いつまでに教えるのかが決まっていないため、現場が忙しくなると後回しになります。そして、ベテランが退職する直前になって慌てて声をかけることになります。
技能継承は現場任せにすると進みません。人事が設計し、現場が動く形にする必要があります。ここでは人事担当者が主語になって動ける順序で整理します。なお、能力開発の実施状況や課題の全体傾向は、厚生労働省「能力開発基本調査」で毎年公表されています。自社の取り組みが業界の中でどの位置にあるかを確かめたいときは、公表資料を直接確認してください。
技能継承で扱う「技能」は3種類ある
最初に区別しておくべきなのは、引き継ぐ対象が一様ではないという点です。種類が違えば、引き継ぎ方も期間も変わります。
| 種類 | 中身の例 | 引き継ぎの方法 | かかる期間の目安 |
|---|---|---|---|
| 文書にできる知識 | 施工手順、社内書式の書き方、原価の積み方 | 手順書・チェックリストの整備 | 短い。数週間から数か月 |
| 身体で覚える技能 | 墨出し、機械の操作、仕上げの精度 | 現場での同行と反復 | 長い。年単位 |
| 関係と判断 | 発注者や協力会社との折衝、段取りの組み替え、異常の察知 | 同席と事後の振り返り | 最も長い。年単位で複数現場 |
「文書にできる知識」は、ベテランが退職したあとでも補いが利きます。一方で「関係と判断」は、ベテランが在職しているうちにしか引き継げません。優先順位をつけるときは、この区別が基準になります。
手順1 引き継ぐ対象を洗い出す(着手から2週間以内)
誰が担当するか。人事が主体となり、各部門長と一緒に行います。
- 55歳以上の技術者・技能者の一覧を作ります。氏名、年齢、定年までの年数、保有資格、主たる担当業務を並べます。
- それぞれについて「この人が明日いなくなったら、誰が代わりにできるか」を部門長に聞き取ります。答えが出ない業務に印をつけます。
- 印がついた業務を、先ほどの3種類に仕分けします。
- 仕分けの結果を、継承の緊急度で並べ替えます。緊急度は「定年・退職までの年数」と「代替者の有無」の掛け合わせで決めます。
この一覧は社内で扱いが難しい情報です。年齢や退職時期を含むため、閲覧できる範囲を最初に決めてください。部門長と人事責任者までに限る運用が無難です。
優先順位のつけ方
| 代替者の有無 \ 退職までの年数 | 3年以内 | 4〜7年 | 8年以上 |
|---|---|---|---|
| 代替者がいない | 最優先。今期中に着手 | 来期の計画に組み込む | 中期計画で扱う |
| 代替者が1名 | 優先。今期中に着手 | 来期の計画に組み込む | 通常の育成で対応 |
| 代替者が2名以上 | 手順書の整備で対応 | 通常の育成で対応 | 対応不要 |
最優先の枠に入った業務から着手します。すべてを同時に進めようとすると、どれも中途半端になります。最初の年は3件から5件に絞るのが現実的です。
手順2 指導役を指名し、条件を決める(1か月以内)
ベテランであれば誰でも教えられるわけではありません。指導役を指名するときは、本人の同意を取り、役割と条件を文書にします。
指名時に決めておく項目
- 指導の対象者(誰を教えるか。氏名で特定します)
- 指導の期間(開始日と終了予定日)
- 指導にあてる時間の目安(週あたり、または現場あたりの時間)
- 指導役に対する処遇(手当の有無と額、評価への反映方法)
- 指導の進捗を誰に報告するか(報告先と頻度)
- 指導役自身の業務量をどう調整するか
最後の項目が抜けがちです。指導役に任命しておきながら担当現場を減らさないと、本人が「教える時間がない」状態に追い込まれます。結果として指導は形だけになり、指名された本人の不満だけが残ります。指導役を置くなら、その分の業務をどこかで減らす判断が必要です。この判断は人事だけではできないので、部門長と役員を交えて決めてください。
指導役への事前説明
指導役に任命したら、教え方について短時間でも説明の機会を設けます。長い研修は不要ですが、次の3点は伝えておきます。
- やって見せる、説明する、やらせてみる、確かめる、の順で進めること
- 一度に伝える項目を絞ること(1回の現場で1〜2項目まで)
- できなかったときに人格を否定しないこと
3番目は定着にも関わります。指導が厳しすぎて若手が辞めてしまえば、継承は振り出しに戻ります。
手順3 継承計画を1枚にまとめる(2か月以内)
計画は対象者ごとに1枚にします。分厚い計画書は誰も見ません。次の項目を1枚に収めます。
| 項目 | 書き方 |
|---|---|
| 対象者 | 若手の氏名、所属、入社年 |
| 指導役 | 氏名、所属 |
| 到達目標 | 期間終了時にできるようになっていること。動作で書く |
| 中間目標 | 3か月ごと、または現場ごとの区切り |
| 実施方法 | 同行、座学、外部講習のどれを使うか |
| 確認方法 | 誰が、どうやって到達を確かめるか |
| 期間 | 開始日と終了予定日 |
到達目標は「墨出しができる」のような曖昧な書き方を避けます。「一般的な事務所建築の内装の墨出しを、指導役の立ち会いなしで1日で終えられる」のように、条件と水準を入れて書きます。これを書けないときは、何を引き継ぐかがまだ定まっていない証拠です。部門長に戻して詰め直してください。
外部の講習や資格をどう組み込むか
社内の指導だけで完結しない部分は、外部の講習や公的資格の取得で補います。建設業では、職長教育や特別教育のように法令で定められた教育が多く、これらは継承計画とは別に実施義務があります。混同しないよう、計画書では「法定教育」と「社内の技能継承」を欄で分けて管理すると混乱しません。
資格取得を目標に入れる場合は、受験時期から逆算して計画を立てます。年1回しか実施されない試験もあるため、1年ずれると計画全体が後ろにずれます。
手順4 記録を残す仕組みを作る(運用開始と同時)
記録がないと、進んでいるのか止まっているのかが分かりません。ただし、記録を細かくしすぎると現場が書かなくなります。負担の軽い形にします。
記録の最小構成
- 日付
- その日に扱った項目(計画書の中間目標との対応)
- 若手の到達度(3段階でよい。「見ただけ」「補助付きでできた」「一人でできた」)
- 次回に扱う項目
これを現場で1〜2分で書ける形にします。紙でも共有の表計算ファイルでも構いません。重要なのは、指導役ではなく若手本人に書かせることです。本人が書くことで振り返りになり、指導役の負担も減ります。人事は月1回、記録が止まっていないかだけを確認します。
四半期ごとの面談
3か月に1回、人事または部門長が、若手と指導役の双方から別々に話を聞きます。同席させると本音が出ません。聞く内容は次のとおりです。
- 計画の中間目標に対して、どこまで進んだか
- 進んでいないとしたら、原因は何か(時間、相性、業務量、本人の理解)
- 計画を変える必要があるか
原因が「時間がない」であれば、業務量の調整が必要です。「相性」であれば、指導役の交代も選択肢に入れます。相性の問題を精神論で押し切ると、若手が離職します。交代は失敗ではなく、運用の一部だと社内で共有しておいてください。
手順5 処遇と評価につなげる(期末)
継承が進んでも処遇が変わらなければ、若手も指導役も続きません。評価制度との接続を期末までに決めます。
| 対象 | 接続のさせ方 | 決めておくこと |
|---|---|---|
| 若手 | 到達目標の達成を評価項目に入れる | 達成したときの昇給・等級の扱い |
| 指導役 | 指導実績を評価項目に入れる | 手当の額、または評価上の加点幅 |
| 部門長 | 部下の育成状況を評価項目に入れる | 部門としての到達件数の目標 |
部門長の欄を入れるかどうかで、取り組みの本気度が変わります。部門長の評価に育成が入っていなければ、現場は工期と原価だけを見ます。
評価制度の改定は就業規則や賃金規程に関わる場合があります。手当を新設するときは、規程の整備と届出の要否を社内の担当者または社会保険労務士に確認してください。
よくあるつまずき
ベテラン本人が教えたがらない。 理由は様々ですが、「自分の立場がなくなる」という不安が背景にあることがあります。この場合、指導役としての処遇を先に提示し、継承後も社内に役割が残ることを明示すると、態度が変わることがあります。高年齢者の継続雇用の方針とあわせて説明すると納得が得やすくなります。
若手が複数の現場に散っていて、指導役と組めない。 配置を決める部門が継承計画を知らないことが原因です。配置を決める会議に継承計画の一覧を持ち込み、年間で何現場かは必ず同じ現場に入れるよう調整します。全現場を揃える必要はありません。
計画を作ったが、半年で誰も見ていない。 確認の場が決まっていないためです。四半期面談を会議体の年間予定に組み込み、日程を先に押さえてください。日程が決まっていない取り組みは必ず止まります。
到達目標が「一人前になる」で終わっている。 これでは達成したかどうかを誰も判定できません。計画を受け取った時点で人事が差し戻し、動作と条件で書き直してもらいます。
ベテランが退職した後に、継承できていなかったことに気づく。 退職の6か月前には、代替者の確認を部門長と行う運用を入れておきます。退職の申し出から退職日までの期間は短いことが多いため、申し出を待ってからでは間に合いません。
1年目の進め方のまとめ
| 時期 | やること | 担当 |
|---|---|---|
| 1〜2週目 | 対象者の洗い出しと優先順位づけ | 人事・部門長 |
| 1か月目 | 指導役の指名、条件の決定、本人同意 | 人事・部門長・役員 |
| 2か月目 | 継承計画の作成(対象者ごとに1枚) | 部門長・指導役 |
| 3か月目 | 運用開始、記録様式の配布 | 人事 |
| 6か月目 | 第1回・第2回の四半期面談 | 人事・部門長 |
| 期末 | 到達度の確認、評価への反映、次年度計画 | 人事・役員 |
初年度は対象を絞り、記録が続く形を作ることを目標にしてください。件数を増やすのは2年目以降で間に合います。
よくある質問
Q. 指導役に手当を出す場合、いくらが相場ですか
技能継承の指導役手当について、業界共通の相場を示す公的な統計は確認できていません。自社で決める際は、職長手当や役職手当など既存の手当とのバランス、指導にあてる時間の目安、指導役の業務量をどれだけ減らすかの3点から逆算して決めるのが現実的です。手当を新設する場合は賃金規程の改定が必要になるため、社内の担当者または社会保険労務士に確認してください。
Q. ベテランが定年後も継続雇用される場合、継承計画はいつまでに終わらせるべきですか
継続雇用されるかどうかにかかわらず、現役で現場に出ている期間のうちに終える計画にしてください。継続雇用後は役割や勤務日数が変わり、若手と同じ現場に入れない場合があるためです。継続雇用の予定があっても、定年到達の時点を一つの区切りとして計画を組むほうが安全です。本人の意向は早めに確認しておきます。
Q. 若手が途中で辞めてしまった場合、計画はどうすればよいですか
計画自体は残し、対象者だけを入れ替えます。指導役と到達目標は使い回せるため、最初から作り直す必要はありません。ただし、離職の理由が指導のあり方にあった可能性は確認してください。四半期面談の記録を見返し、指導役との関係について本人が何を言っていたかを確かめます。原因が指導にあるなら、対象者を入れ替える前に指導の方法を見直す必要があります。
Q. 他社と比べて自社の教育の取り組みが遅れているか知りたいのですが
厚生労働省「能力開発基本調査」で、事業所における教育訓練の実施状況や、能力開発上の問題点についての集計が公表されています。産業別の集計も含まれているため、建設業の傾向と自社を比べる手がかりになります。ただし調査の設問や区分は年によって変わることがあるため、使う前に調査年と集計の定義を公表資料で確認してください。
Q. 手順書を作れば技能継承は済みますか
文書にできる知識については有効ですが、それだけでは足りません。身体で覚える技能や、発注者・協力会社との折衝のような判断を伴う部分は、手順書には落とし込めないためです。手順書の整備は継承の土台として進めつつ、現場での同行と振り返りを並行して組む必要があります。どの業務がどちらに当たるかは、手順1の仕分けで判断してください。
出典
- 厚生労働省「能力開発基本調査」
本記事は建設タレントサーチ 人事ノートが作成しています。法令・制度は改定されることがあるため、 実務にあたっては官公庁の最新の公表資料をご確認ください。 個別の判断が必要な事案は、社会保険労務士等の専門家にご相談ください。
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